『石川門』と故・後藤勝美さん
全日本ろうあ連盟元理事で、情報提供施設の運営を支援するための「こだわりカレンダー」のイラストでおなじみの画家・後藤勝美氏が21日に亡くなられました。まだ69歳。金沢にこられて講演されたときの様子が昨日のように思い浮かびます。
そのとき、有名な星野富弘さんのイラストをどう思うかという質問に対して「私ならこんな線の細い描き方はしない。もっと力強い筆づかいをしたい」と話されたのが印象に残っています。
3月26日付朝日新聞岐阜版でも「戦争・差別と闘った後藤勝美さん岐阜で葬儀」との見出しで、アウシュビッツ収容所跡を描いた絵を並べた「負の世界遺産展」を全国各地で自前で開いてきた、氏の反骨の精神と意志の強さを綴っていました。
アウシュビッツ収容所跡を描いた絵を並べた「負の世界遺産展」を全国各地で自前で開いてきた岐阜市の画家後藤勝美さんの葬儀が24日、同市内の斎場で営まれた。後藤さんを「ろう運動の先駆者」とたたえ、同展が再開されなくなったことを惜しむ手話と声が会場を包み込んだ。
後藤さんは21日、肝不全で亡くなった。69歳だった。風景画中心に個展を重ね、07年8月からは「負の世界遺産展」を続けてきた。昨年12月、タイとミャンマーへ出かけたが、絵が描けないほど体調がすぐれず、帰国後、進行したがんが見つかった。
それでも、日本国内にある「負の遺産」をテーマに新たな遺産展への希望を語った。また、障害を「障がい」と言い換える自治体などの動きを独自に調べ、「『害』を取り除く具体的な施策の方がずっと大事だ」と批判。今年1月23日の本紙「私の視点」にも意見が掲載された。
葬儀には全国から、ろうあ運動の仲間が駆けつけた。
全日本ろうあ連盟副理事長の石野富志三郎さんは、別れの言葉を手話で語った。
先月24日、後藤さんを見舞い、6月に公開される同連盟創立60周年の記念映画「ゆずり葉」の未公開DVDを一緒に見た。その時、後藤さんの目に涙が光った様子を伝えて「後藤さんが書いた映画の題字は永遠に残ります」と言葉を贈り、最後に「さよなら」と遺影に右手を振った。
県聴覚障害者協会会長の水野義弘さんは「ろう運動の先駆者から未来につながるバトンをいただいた」と述べた。
後藤さんは10歳で聴力を失った。聴覚障害者の置かれた現状を知り、ろう学校を出た後は画家志望を断ち切り、ろう者の福祉運動一筋に生きてきた。51歳になって福祉運動を後輩に託し、画業を再開。路地裏や工場跡などを描いた絵が人の心をいやしてきた。
会場には、絵画や書などが飾られ、使い込まれたパレット、片時も離さなかった携帯電話などの遺品、発信し続けた個人通信紙のスクラップも並べられた。(中沢一議)
4月に入れば石川県聴覚障害者センターホームページをリニューアルする予定で、トップページには、後藤さんの描かれた『石川門』(当センターの入口近くに飾ってあります)の絵を入れられるように、昨年から承諾を得ていました。後藤さんが石川に遺して下さった宝物なのだろうと思います。 (4月にリニューアル予定の当センターホームページのトップページです)
| 固定リンク


コメント